夜の戯言

 

こんばんは。現在深夜1:17。16時から好きな音楽をひたすら垂れ流す夕寝を19:30頃までして、そのまま電気も付けず0:30までベッドでうだうだしてたらこの時間です。

 

そのまま朝まで寝てしまおうと思いましたが、1日中家にいる生活、体力をほとんど消耗しないので疲れもせず、全く眠くなりません。贅沢な悩みだ〜。

 

そんなこんなで今は、お腹も少し空いたので、小さな灯りだけを付けて、あったかいほうじ茶ラテを飲みながら、星野源のANNをタイムフリーで聴いています。いい女っぽく聞こえますが、座椅子の背もたれに大きな態度でもたれ、ベッドに足をかけてるので、相当なものです。

 

夜、色んなことを考えてしまいますね。私は大抵仕事のことか、好きな人のこと、明日のご飯のことを考えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

年内転職!としっかり気持ちを固めたのは年明けすぐ。大好きだった親戚のおじさんが亡くなったとき。

 

頻繁に会うわけではなかったけど、必ず元旦にはおじさんの家で親戚一同集まって、大人は酒と仕事の話、子供はお年玉代わりにもらった人生ゲームや、ボードゲームに夢中になっていたな。私はというと、親戚の子供の中で1番お姉さんだったので、ちっちゃい子たちのお世話係。だけど、小難しい大人の話を聞くのが昔から好きで、飲み物を飲みに行くフリをしてちゃっかり大人の話を聞いていたりしていた。

 

おじさんはいつもその中で話の中心にいて、いつも黒の座椅子に座って、トイレ以外は1歩も動かなかった。おじさんはお酒が大好きで、常に座椅子横の棚にはお酒が常備されていた。当時5歳の妹や3歳の従姉妹に「おう飲むか?」と日本酒を舐めさせようとしたりして、よくみんなに怒られていたし、私にも「中学生は酒が飲める歳だ」と飲ませようとしていた。

 

そんなおじさんのテリトリー(座椅子周り)にはテレビやエアコンのリモコン、なんならマジックハンドまで置いてあって、2階のおじさんの部屋にはおじさんが作ったクオリティの高すぎるジオラマがあって、いつも行くたびにディアゴスティーニで作ったものや、見たことの無いハイテクなロボットを見せてくれた。家に遊びに来てくれた時には、ギターを教えてくれたり、一緒にトランペットを吹いたりもしたな。いつまでも遊び心を忘れない、かっこいいおじさんだった。小さい頃から「仕事は遊び、趣味が仕事」と言う所ジョージさんのことを格好良いなと思って憧れていたんだけど、もしかしたらそれはこのおじさんを見ていたからなのかもしれない、と今更ながら思う。

 

 

上京し、社会人になって最初の元旦もおじさんの家に行った。20歳になって初めておじさんの家に行くということで、おじさんとちゃんとお酒を飲めることが密かに楽しみだった。

 

だけどおじさんのすぐ隣にあったお酒の入っていた棚の側面には曜日別に分けられた薬のポケットがあった(昔からあったはあったんだけど当時はそんなに気にしていなかった)。おじさんは前よりも痩せていて、覇気がない気がした。

 

時間はまだ昼だったので、みんなでこたつに入っておせちをつつきながらお互いの近況を話した。その時おじさんの体調が悪化していることも聞いた。おばさんは「ずっと座ってばっかで動きもしないから余計にダメなのよ」って言ってた。おじさんの趣味は確かにインドアなものが多かったし、私のお父さんが「じゃあ今からみんなで近くの神社まで初詣がてら散歩するか」と提案した。おじさんは「いいよそんなの」と断った。「おじさん、一緒に行こうよ。いつも元旦に来てたけど、そういえばこの辺のこと全然知らないし、教えてよ。」と私が続けて言えば「しょうがないな…」と重い腰を上げてくれた。

 

まだ小さい従姉妹と妹は仲良く手を繋いで「危ないよ」と言われながらはしゃいでいた。おじさんは思ってた以上に足腰が弱っていて、かなり歩くスピードがゆっくりだった。「おじさん、手繋ごうよ」と手を差し出すとすごく嬉しそうに笑って握り返してくれた。「いいよいいよ」って軽くあしらわれるかと思ったけど、ずっと「若い子の手が握れるなんてな〜」なんて言いながら喜んでくれてた。

 

おじさんと手を繋ぎながら色んな話をした。この辺は昔はこうだった、ここでよく遊んだ、ここは… おじさんは時折ちょっと休憩、って立ち止まったりしながらも一緒に神社まで歩いて、一緒にお参りした。

 

帰りも「こっちが近道なんだよ」と変な道を教えてくれたり「ここに住んでたやつと仲悪くてさ」ってやっぱりおじさんの話は面白くて嬉しくなった。

 

夜になって毎年のように大人組はお酒に、子供組はゲームに群がった。自分の次に大きい従姉妹の子が面倒を見てくれるようになったから、私は大人組と一緒にいた。お父さんは私に「酒飲むか?」と聞いてくれたけど、おじさんからそれを言われたかったから少し寂しくなったりもした。少しだけ日本酒をみんなで一緒に飲んだけど、おじさんは確実に飲む量が減った。「お〜やっと飲めんのかクソガキ」とか言われたかったし、「ほらもっと飲め」って無理やり飲まされるのを想像していたから、なんだか物足りなかった。

 

大人たちがいい感じに酔っ払って来た頃おじさんが「俺、今日散歩行ってよかったわ」と言った。「手を握って一緒に歩いてくれてさ、俺がずっと住んできたこの町のことをたくさん聞いてくれて、嬉しかったわ」って言ってくれた。お父さんも「たしかに手を握って歩く姿、後ろから見ててもすごくよかったわ」って言ってくれた。少し照れくさそうにお酒を流し込むおじさんを見て、私も照れくさかったし、それ以上に嬉しかった。

 

 

その後は忙しくなっておじさんの家どころか実家にすらなかなか帰れなくて、おじさんとも会えなくなった。

 

 

 

去年の年末お母さんから「おじさんがそろそろ危ないかも」「もう長くないと思う」と連絡がきた。

 

なんとか仕事をうまく調節して、年明けすぐに地元へ帰った。駅まで車で迎えに来てくれた親はすぐにおじさんのいる病院までそのまま走った。

 

 

病室に入ってびっくりした。そこには呼吸器をつけ、ガリガリに痩せ細ったおじさんがいた。昨日までは会話も出来たらしいけど、容態が急変して、今日は全く会話ができず、目を開けたままずっと天井を見つめるだけだと。手も自力では動かせないし、意思の疎通がほぼ不可能な状態まで来ていた。

 

 

正直何も言葉が出なくて、おじさんの寝ているベッドの横でただひたすら見つめることしかできなかった。あんなに元気だったのに、あんなにいつも茶々いれてくれてたおじさんが、言葉すら発せないなんて信じられなかった。

 

そんな私を察してか、おじさんの妹でもある私のおばあちゃんが「〇〇が来てくれたよ」とおじさんに話しかけた。もちろん、意思疎通ができない状態なのだけど。だけど、おばあちゃんがそう言った瞬間、ずっと天井を見つめていたおじさんの黒目が一瞬だけど私の方に動いたんだ。おばあちゃんもおじさんの奥さんでもあるおばさんも「今〇〇ちゃんのこと見てくれたね」って、「やっぱり会いたかったんだね」って。

 

 

従姉妹の家に顔を出す約束があったこともあり、また明日も来るからねと病室を後にした。従姉妹の家でみんなで〇〇ちゃん久しぶりだね〜なんて話していた時に「おじさんが今さっき亡くなった」とおばあちゃんから連絡がきた。

 

 

病室を後にして2時間後のことだった。さっきまで生きていた人が、いなくなった。そんなこと、うまく理解ができなかった。

 

 

すっかり静まってしまった従姉妹の家でお父さんが「お前が来るの待っててくれたんだな」と言った。お母さんも「ほんとだね、会えるまで頑張っててくれたんだね」と続けて言った。

 

 

4日間の久々の帰省が、まさかお通夜や式で埋まってしまうとは思わなかった。

 

 

久々に集まった親戚一同にも「お前ちゃんと会えてよかったな」とみんなが言ってくれた。「きっと〇〇ちゃんが帰ってくるのが今日だったらおじさん今日まで待ってただろうね」とも言った。

 

 

身近な人がなくなった経験が無かったので、おじさんの死は不思議な感覚だった。あまりに痩せすぎて見た目が違いすぎて信じられない、という気持ちや、自分と会った数時間後にこの世からいなくなってしまったこと、もうおじさんに面白いことを教えて貰えないこと、色んな感情がごちゃごちゃになった。だけど意外と涙は出なかった。

 

 

 

式の最後、花を添えるとき、親戚の人がおじさんの顔を見て「男前やな」と言った。おばさんは「そう、そこに惚れたのよ」と泣いていた。いつもあまり感情を表に出さないおじさんの娘さんが声を上げて泣いていた。おばあちゃんも泣いていた。

 

 

そんな周りを見ていたら泣きそうになったけど「何泣いてるんや」っておじさんに怒られそうな気がして、ぐっと堪えた。

 

 

 

最後に元旦の散歩を思い出して、手を握りたくなったんだけど、握れなかったことが少し後悔かな。恥ずかしくて握れなかった。

 

 

もっとたくさん会いに行けばよかった、と思った。体調が悪いのは知っていたのだから。

 

どうしても仕事柄休みはあまり多くはないし、纏まった休みもほとんどない。何かあった時にパッと帰れる仕事ではない。

 

この先、順序を追うのならおばあちゃんやおじいちゃん、お父さんやお母さんときっといつかは会えなくなる日が来る。

 

そう思ったら年に1度帰れるか帰れないかの仕事をするのが怖くなった。

 

 

おじさんの死をきっかけに、身近な人とあと何回会えるんだろうと考えたりして、そのためには仕事ばかりではいけない気がした。そんな風に転職を決意したのが今年の年明け。

 

 

 

本来なら今頃転職活動をしていただろうけど、こんなご時世。転職にブレーキがかかってしまった。約2ヶ月間も休職しているとこれからについてとても考える時間が増えた。

 

 

好きな人のために時間を使いたい、自分の好きなことをしたい、お金はたくさん欲しい・・・と色んなことを考えながら過ごした。

 

 

正直この先がまだ読めないので、具体的な退職時期はまだ決めきれないが、またじっくり考えたいなと思う。

 

 

 

 

次の仕事に求めることは大切な人に会う時間が増やせそうなことは勿論だけど

 

「おじさんみたいな大人になりたい」

 

という気持ちが1番強いかもしれない。

 

 

好きなことをたくさんする大人になりたいな。

 

 

 

さてと、気付けばタイムフリーで聞いていた星野源のANNは終わってしまいました。

 

1時過ぎに描き始めたのに気付けばもう3時。

 

 

書きながら思い出して少しだけ泣いたりもしてしまったけど、改めて文字にするのは悪くないなと思った。気持ちがすっきりした。

 

 

 

ただの深夜の戯言、ここまで読んでくれた人どうもありがとう。全然ジャニーズ関係なくてごめんね。(笑)

 

 

 

おやすみなさい。