2018年



去年だったかな、Apple Musicが自動的にその年に聴いていた音楽を再生回数の多い順に100曲集めたプレイリストを作ってくれる、っていうのがあるってことを知ったのは。


今年も友達が挙げているのをみて、自分の今年1年を振り返るような気持ちで2020のプレイリストを覗いてみた。Apple Music上にあるものしか反映されないから、自分でインポートした音楽たちはランクインはしないけど、私のプレイリストってすっかり変わってしまったな、なんて思いながら眺めた。

 


一番下まで行くと、2018のプレイリストも用意されていて2019、2020とせっかく保存したから、2018もするか、と思って保存した。正確には去年も見たかもしれないけど、去年はまだ保存する勇気が出なかったのかもしれない。


仕事からの帰り道、そんな2018のプレイリストの存在を思い出して再生しながら帰ることにした。

 

 


シャッフル再生での1曲目、流れたのはsumikaの雨天決行だった。そっか、2年前、2018年のわたしはこの曲を再生できていたんだな、自ら再生ボタンを押していたんだな、と胸がキュッとした。

 


今ではすっかり大勢の人達が知っているバンドになったsumika。忘れもしない2018年の7月1日の日本武道館、あの日を機にわたしはsumikaを卒業した。

 


人間ってどうしても大好きを大切にしたいと思ってしまう生き物で、そんな自分の中の大好きや大切がズレ始めたり、欠けてしまったり、崩れ落ちる瞬間に出会ってしまったときに上手く受け入れられなかったりする。わたしにとってそれがsumikaだった。


初めて聴いた日、もう耳が好きだといってきかなくて、一日中聞いた。頭がおかしくなるくらい、画面に穴が空いてしまうんじゃないか、というくらいYouTubeを見た。周りにこのバンドを好きな人も、知っている人もいなくて、友達を無理矢理ライブに連れて行ったり、Twitterでならsumikaを好きな人に出会えるんじゃないかと思って、自らフォローしたり、バンド界隈では有名な(笑)日曜タグをして友達を作ったりした。正直日曜タグをするひとなんてにわかのバンドファンしかいないし、仲良くなりたくない人種が多かったので、あれをしてたなんてなかなか黒歴史だなと思う。


だけどそこまでしてでも、このバンドの良さを誰かと分かち合いたい!と思うくらいのめり込んでいたと思う。気付けば友達は増え、全国各地どこの会場へ行っても友達がいた。地方でホテルに泊まるなんて基本したことがなかったくらいだ。チケットだって、仮に外れても誰かしらから必ず貰えた。あの頃は今思うとなんだか無敵だった気がする(笑)いちばん、本当にいちばん追いかけていて楽しい頃だった。

 

 


優れた天才のつくる音楽はわたしたちの耳だけに留まることなんて当たり前になく、あっという間に広まった。規模はどんどん大きくなるし、チケットは当たりづらくなる、気付けばちょっとバンドを齧ってるくらいのやつが「ああ、あのバンドいいよね」ってヘラヘラ話すようになってきていたし、セトリがいつからか大衆向けになって、客に、新規に媚びるようなセトリに変わっていった。わたしたちが大好きで大切にしていた宝物のようなバンドはいつからか「みんなの」バンドに変わってしまった。


勿論、悪いことじゃない。大きくなってくれることはそりゃあ嬉しい。だけどやっぱり、どうしようもなく寂しかった。売れてしまった彼らに、私たちって大切にされてないんじゃないか、みたいな我儘な感情を抱いてしまっていた。前から好きだった人たちよりも、今好きになってくれた新規の方が大事なの?みたいなこと思ってた。…だけど分かってた、そんなこと絶対思わないバンドだ、ってこと。ずっとずっと見てきたんだから、大切に思ってきたんだから、分かってたはずなのに、どうしてもそういう考えが浮かんでしまう自分が嫌だった。周りの友達も同じことを思ってたから、救われていた部分はあったけど、毎度毎度ライブが終わる度に「楽しかった!」よりも、「セトリ微妙だったな」が勝ってしまうのはやっぱり自分自身を何度も苦しめた。新規のひとたちの「初めてライブいった!楽しかった!」みたいな純度100パーセントのツイートを見れば見るほど、わたしだってそう思ってたときがあったはずなのに、その気持ちどこに置いてっちゃったんだろう、って辛かった。


…しばらくすると、セトリが改善されたりしたけどもうその頃には随分と行く回数が減っていて、他のバンドに重きを置くようになっていた。他の友達もsumikaは好きだけど…、という気持ちを持ちながらも、別のバンドの投稿をしょっちゅうしていた。だけど中にはやっぱりsumikaって凄い!気持ち離れかけてたけどやっぱり大好きなバンドだ!と言い始めた友達もいた。正直このツイートが私にはいちばんキツかった。「sumikaを好きで居続けること=正しい」という意味にしか聞こえなかった。もう好きでいられないかもしれない、と思っているわたしはきっと駄目なんだろうな、と自分を責めてしまいそうだった。なんでみんなみたいに好きで居続けられないんだろう、と苦しくて、正直あの頃は仲の良かった子達のツイートが見れなかった。

 

 


そして決まった初の日本武道館でのワンマンライブ。いつかのツアー遠征先のライブ終わり「初めての武道館はsumikaに捧げるんだ!」とお酒片手に話していたたくさんの友達の顔が思い浮かんだ。とてもおめでたい大切なライブが決まったのだ。…それと同時に、こんな気持ちのわたしが行くようなライブじゃないな、という気持ちも浮かんだ。だからチケットは申し込まなかった。


だけど友達から「行こうよ、大事なライブじゃん、一緒にみたいよ」と誘われて、行くことにした。これでsumikaのライブに行くことは一旦終了しよう、と心の中でそっと決めて。


会場の熱気は凄かった、こんなに大きなところであの4人がステージに立っていて、目の前にいたようなひとが、出待ちで写真撮ったり、サインしてくれたり、空港で泣きながら話しかけてしまったけど優しく対応してくれたあの人たちが、日本武道館のステージに、日の丸を背負って立っていた。

 


だけどどうしても素直に喜べなくて、いつもあんなに声を出して笑顔で手を挙げたり、拳を握ったりしていたのに、2時間ずっと棒立ちでひたすらステージを見つめた。やっぱり、こんな気持ちのわたしが見ていいようなライブじゃなかったんだ、と思ってしまってライブ中、ずっと外に出たかった。チケットが見つからなくて入れない人もたくさんいたのに、こんなわたしが、ここにいていいんだろうか、とずっと考えていた。

 

 

 


…だけどアンコールの2曲目。1番大好きな曲が流れた。それが今日2018のプレイリストを再生した時に最初に流れた「雨天決行」だった。


それまで棒立ちだったわたしは、涙がどうしようもなく止まらなくなってしまって、息もできないくらいに泣いた。隣にいた友達も傍にいたスタッフさんも心配そうに見ていたから相当だったと思う。ボロッボロに泣いた。わたしが彼らを見てきた数年が、全部全部頭の中で走馬灯のように流れて、その中にいつもこの曲はいた。聞けない日もあったし、聞けなくて文句だって言ってしまったこともあったけど、確かに日本武道館のアンコールで彼らはこの歌を歌った。この曲を演奏する彼らがいちばん素敵で格好良くて、いや、そんな言葉では表せなくて、ただただ大好きだった。雨天決行をやっている時のsumikaが大好きだった。やっぱり大好きで大切なバンドだったな、と思い、えんえん泣いた。


ひとしきり泣いたら、もうこれできっといいんだと思った。好きな物を嫌いになるのも怖いし、好きを誰かに強要されるのも嫌だ、周りを気にしながらわたしだけの大切な気持ちを偽りながら話すのも、もう全部全部終わりにしようと、わたしは確かに大好きだったし、これからだって好きだ。ただわたしはわたしのペースで好きでいたい。そう思って、この日を境にsumikaのライブへ行くのを辞めた。


ライブの2日後かな、気持ちが落ち着いてからインスタに軽めの感想を投稿した。わたしにとっては友達の友達程度のやつから「気持ちが離れているのはなんとなく知ってたよー!だけど無理に好きでいることなんてないよー!いつか戻ってくるの待ってるよ!一緒にまた見よう!なんも知らないおれが言ってごめん(笑)お節介だよね(笑)」みたいなメッセージが来て、本当に気持ち悪いなと思った。この人は本気で良かれと思ってこの言葉をわたしに投げかけているのか?と疑った。そもそもこいつと会話したことはほとんど無い。友達の友達としていつもなぜかその場にいるから適当に話してただけなのに、わたしの全てを知ったような顔して、人の心の中にズカズカ入ってきて、本当に呆れたのを覚えている。わたしは、人の好きのきもちに寄り添うのは何よりも難しいと思っている。好きだから!で仲良くなることの方が勿論多い、きっと趣味をきっかけに仲良くなる人がこの世では多い。だけど好きのベクトルは人それぞれだ。正直嫌いのベクトルの方が人は綺麗に一致すると思っている。嫌いは所詮嫌いだから。好きのベクトルは、好きだから全部大好き!の人もいれば、好きだからこそ寂しくなるわたしみたいな人もいるし、自分の好きを人に強要するひともいる、こいつみたいに自分の好きが美学だと思ってるやつもいる。


……ちょっと乱文になってしまったけど、わたしはあの時自分の気持ちを大切にするために好きな物から離れたことは今でも間違っていないと思っている。正直あれからsumikaを自ら聞いた回数はほぼゼロに近い。ほとんど聞いていない。だけど今日2018年のプレイリストを再生したとき、1曲目に雨天決行が流れて、切なくてさみしくて懐かしくて、あったかい気持ちになるくらいまでになった。わたしも2年半近くたって、きっと大人になったんだと思う。敢えて好きな物と距離をとったことで、大嫌いにならずに済んだのだな、と思った。


敢えて曲を聞かないようにするのは、なんだか失恋をして長い髪をバッサリとショートヘアにするあの感覚に少し似ていた。好きだ、といってくれていたから、気付けば自分自身も好きになっていた長い髪とお別れする。彼らが大切にしていたから好きになった曲を聞くのを辞める。なんだか似ていた。


時間が解決してくれる、そう思っていたけどまだまだ少し凝りは残っている気がするし、まだまだ周りとの気持ちのギャップは感じるけど、これからもわたしはわたしなりに好きな物は好きでいたいな、とおもった。



2018年のわたしへ、あの日他の誰でもないわたしだけの気持ちを大切にしてくれてありがとね。間違ってなかったなぁって思うよ。これからもわたしはわたしの気持ちを大切にするね。